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勝手に連絡先教えちゃいますか…、な話

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アラフィフの真面目な話。
この記事は約3分で読めます。

見慣れないスマホのメアドからメールが来た。携帯電話のメールアドレスでやり取りするような人はいないけどな…と思いながらも開いたら、「〇〇さんに連絡先教えてもらってメールしました。聞きたいことがあるんですが返信ください!」と。

誰?この人

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知らない人から「メアド教えてもらってメールした」とメールが来た

メアドを教えたのは元上司の知り合い。現在接点はなし。メールの送り主は名乗っていないので誰か分からず

まずひとつ言いたいのがこの〇〇さん、知ってはいるけどそれほど接点がない。知り合い(その時点では上司)から紹介されて名刺を交換。(Facebookの友達)申請してもいい?と言われたので、承認しただけの人だ。

そして、このメールの送り主、名乗ってない。誰かも分からんメールに返信…しないよね。名乗ってても返信しないけど。

他人に連絡先を教える前に本人に「教えてもいい?」と確認しない?

親しい間柄であったとしても、メアド教える前に「こういう人がいるんだけど連絡先教えてもいい?」とか確認する、これが自分の中の常識なんだけど違うのかな…。

それに、今までやり取りがなかった人にメールを送るならどこの誰かは名乗らないか、普通。名乗ったとして知らない相手からいきなりこんなメールが来ても返信せんよ、普通。

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自分の常識は非常識?「普通、こうだよね」を言いたくなる気持ち

そもそも「普通」って何よ、くらいに思うこと多い。普通そうじゃない?とか言われたら、普通って何なの?って思うのに、自分もやっぱり「普通」使ってる。

自分の常識は非常識という言葉がある。

人はそれぞれ価値観や考え方が違うのはよくよく理解しているし、極端な話、自分が美味しいと感じるものを世界中の人が美味しいと感じるかは絶対ではないし。

そう考えるようになってから、誰かに対して自分が持つ「常識」とは違った言動があったとしても、それもありよね、と流せるようになった。

自分と違った考え方が正解とは言えないし不正解とも言えない

自分と違ったとしても不正解ではないと思えるようになり、自分の「常識」を相手に分からせようとしたり、理解できない言動にイライラしたりすることが減り、心の平穏が保たれるようになった…はずなのに、またひょっこり顔を出す「普通、こうじゃない?」思考。

ただ、ちょっとだけ成長したかも…と思えるのは、どうにかそれを分からせようと行動することがなくなり、イラッとしたけど放置することができた。

昔なら、なんとか分からせないと!みたいな感じで行動してたな、きっと。

そもそも名乗ることさえできない人に、自分の大切な時間を使う必要なんてないよね。

それにしてもなんと無…、おっとこれ以上はダメ。考えることすらもったいない。

知らない人から「〇〇さんから連絡先教えてもらいました」というメールを送っても返事が来ないのはわたしのような考え方の人かもしれないので、連絡先を教えてくれた人にメールを送っても返事がないので、代わりに連絡してもらえますか?といいかも…と付け加えておこう。

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