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人に何かを尋ねたら「結果」を伝えたほうがいいと思う件

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仕事中、スマホを持ち込むことができないので休憩に入るとスマホを見るのですが、スマホがおかしいとかLINEが変とか、パソコンに変な画面が出たとか、「お尋ね」が入っていることがあります。

できる範囲、分かる範囲でお返事した内容でうまくいかないと「うまくいかない」と返事がきます。が、うまくいった場合、解決した場合も含め、連絡ないことがあります。

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人に何かを尋ねたら経過・結果報告はしたほうがいいと思うのはわたしだけ?

困っているだろうと回答する。回答した内容が有効だったかが気になるんですよね。解決できたよと一言欲しいと思ってしまう、一言ないとモヤモヤ、モヤモヤするくらいない答えなきゃいい、そう思うこともありましたが、気になってしまってつい返信してしまうんです。

「~してあげた」という感情は人づきあいで疲れる一因かも

モヤモヤする気持ちを自分なりに分析してみると、心のどこかで「~してあげた」という感情、意識があるのではないかと。

この「~してあげた」という感情・意識は人づきあいをする中で相手に何かを望んでいるということになります。望んだ結果が得られないことで自分が損をしたような感覚になってしまう、これは心が疲れる原因のひとつだな、と。

常識・非常識は人によって違う

逆の立場で、分からないことやうまくいかないことがあるとき、誰かにお尋ねすることはあります。尋ねたことに少なからず時間を割いていただくことになるので、いただいた返信に対して結果は必ずお伝えするようにしています。

それが自分にとっての「常識」なんですよね。でもいつも思うのは、自分の常識は他人の非常識、他人の常識は自分の非常識、なんですよね。そんなことこれだけ生きていれば理解できてるはずなのに、モヤモヤしちゃいます。人間ができてないと反省します。

誰もが同じ感情を持つとは限らないし、同じ行動を起こすとは限らないです。わたしだったらこうするのに、なんであの人はそうしないのか。この思考、自分が疲れるだけで何も生み出すことはありません。

この人はこういう人なのね…、自分とは違うんだよね

そう考えられるようになれば、人との距離をうまくとることができるようになるのかもしれません。

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