3月にやってしまったぎっくり腰。
おかげさまでなんとか痛みはなくなり、腰痛ベルト?をせずに過ごすことができる時間が増えた。
仕事中の警戒感は抜けないが、そ~っと動けばなんとか荷物を運ぶことはできる。
が、やっぱり中腰は怖いし痛みもある。もう無理ができないんだなと感じずにはいられない。
最近話題の「学び直し」について思うこと。
職場(本屋)では月ごとにテーマを持った売り場を立ち上げるのだが、最近話題に上っていた「学び直し」売り場が設けられることになった。
この「学び直し」というフレーズに賛否が集まったとニュースで見た。「直し」があかんのかな…と売り場の指示書を見ながら考えていた。
大人になってからの学びには「圧」は必要ない
学びといえば学生時代。学ぶのが好きだったかと聞かれたら「嫌い」「苦手」と答えてしまう、勉強よりも遊びのほうが断然好きだった学生時代。
大人になって社会に出て一番感じたのは「もっと勉強しておくべきだった」。
進学とかそういうことではなくて、人に教えてもらうことの価値を分かっていなかった、それが残念というか後悔というか…。
社会に出て当たり前に飛び交う言葉の意味が分からなかったし、知った風な口をきいていたこともあった。きっと、それで知ることができた事がたくさんあったんだろうなと思うことが年を重ねるにつれ増えていった。
大人になってからの学び。今さら学ばなくてもいいんじゃない?という周りの声に左右されないほうがいい
昔、子育て中に独学したのが「パソコン」。
店頭に並ぶ現品限りのパソコンを夫におねだり(といっても夫に返済する形を取った)して買ったパソコン。なぜパソコンを買ったのか、時代を読んだわけでもなく、ただ娘のためであった。
というのも、娘は特定疾患のひとつ、好中球減少症を患っていた。過去形なので今は元気に飛び回っているが、この疾患自体、どんなものなのか知る術は担当医に話を聞くことしかなかった。
ふと立ち寄った書店で見つけたのが「パソコン通信」について書かれていた雑誌。なぜか気になって購入。インターネットに接続すればホームページというのが見られるようになり、情報を得ることができるとあった。
そこで現品限りのパソコンを購入し、電話回線でパソコン通信を始める。キーボードにすら触れたことがないのに、いきなりパソコン通信を始めようとする。今の自分なら間違いなく「やらない」選択をする。
結果、娘の疾患について調べることができ、担当医の話す言葉の意味が少しではあるが理解できるようになった。が、その情報はあまりに少なかった。そこでまた何を思ったのか、娘の闘病記録をホームページにしたいと、書店で買った「ホームページ作成ソフトの本」を片手にページを公開してしまった。
難解な専門用語にも怯むことなく、うまくできなくてパソコンに八つ当たりしそうになりながらも完成させたホームページ。
誰得な話ではなく、完全な自己満足。それでも入退院を繰り返す娘を看護しながら、パートで働きつつ、上ふたりの子どもの世話もしつつ、寝る間も惜しんで開設したホームページ。
のちに、このホームページがご縁で、娘と同じ疾患で苦しむ人とメールをやり取りしたり、パソコン操作を伝えるインストラクターの話が舞い込んだりするのだった。
もしあの時、夫なり誰なりが口にした「パソコン?そんなん必要ない」をまともに捉えていたら、このスキルはなかったし、今のような働き方もできなかっただろう。
学びに年齢は関係ないと言われるが、役に立たないものに注力するなんて…と言われてしまうことだってある。必要あるかは自分が決めればいい。
某放送局の〇〇講座、月に数百円の負担で週1回の放送を見ながら学ぶのだが、店頭で「できるか分からないんだけどね」と必ず口にする方がいる。が、できるかどうかよりやるかやらないか、到達点は自分で決めればいい。誰のためでもない、自分のためにやるのだから、誰のせいでも、誰かのためでもない。
だから、辞めたくなったら辞めればいい。
独学でパソコン操作を習得しようとしているとき、そんなことより…とかやっても生かせる場所がないよとかあれこれ言われたことがある。娘がまだ小さかったから寝る間も惜しんで…みたいな学びの時間だったけれど、覚えられなくてイライラすることもあったけれど、その時間はわたしだけの時間だったから、それはそれで満足だった。
初めのころはできるようになると嬉しくて、つい人に話してしまうが、「それってすごいの?」と言われた。今ほど身近な存在じゃなかったから、今となればそのリアクションには納得できるけれど、その時は(いくらやっても認められない、分かってもらえない)と内心思ったものだ。
ある程度、学びが進むと、そのリアクションにも反応しなくなった自分がいた。本当の意味で自分のための学びだと、誰のためのものでもない学びだと理解できたんだと思う。
ところで、この学び直しについて書かれたページがある。それも文部科学省のページだ。
さらに、「リカレント教育」「リスキリング」という言葉がある。
「リカレント(recurrent)」とは、「繰り返す」「循環する」という意味で、リカレント教育とは、学校教育からいったん離れて社会に出た後も、それぞれの人の必要なタイミングで再び教育を受け、仕事と教育を繰り返すことです。日本では、仕事を休まず学び直すスタイルもリカレント教育に含まれ、社会人になってから自分の仕事に関する専門的な知識やスキルを学ぶため、「社会人の学び直し」とも呼ばれます。
https://www.gov-online.go.jp/useful/article/202108/1.html
リスキリングは企業側がより収益性の高い部署や業務へ従業員を配置転換するために、DX関連のスキル・知識を学ばせることを指すことが多い(費用も原則として企業が負担)です。
https://partner.lec-jp.com/biz/column/jinjiRoumu-012.html
リカレントとは、自分で自分の仕事に関する知識やスキルを学ぶこと、リスキリングとは企業側が会社の利益になる人材を育てるために学ぶ機会を与えること、のようだ。
マナビDX – マナビDXはすべての人に学びの場を提供します (ipa.go.jp)は、登録不要でDX(デジタルトランスフォーメーション)を学ぶ講座(有償・無償)を受講することができ、日本リスキリングコンソーシアム (japan-reskilling-consortium.jp)では、世代を問わず様々な講座を受講することができるらしい。
パートの空き時間もあることだし、少し学ぶ時間に回そうかな…。