「学び直し」とぎっくり腰その後

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3月にやってしまったぎっくり腰。おかげさまでなんとか痛みはなくなり、腰痛ベルト?をせずに過ごすことができる時間が増えた。仕事中の警戒感は抜けないが、そ~っと動かせばなんとかものを運ぶことはできる。が、やっぱり中腰は怖いし痛みもある。もう無理ができないんだなと感じずにはいられない。

さて、どこかのニュース記事で見たのが「学び直し」という言葉。この言い回しに賛否が集まったようだったが、言い回しはさておき、どの世代であっても学ぶことは大事。

昔、子育て中に独学したのが「パソコン」。店頭に並ぶ現品限りのパソコンを夫におねだり(といっても夫に返済する形を取った)して買ったパソコン。なぜパソコンを買ったのか、時代を読んだわけでもなく、ただ娘のためであった。

始めたきっかけは娘だったが、結果としてその後の仕事にもずいぶんと生かせるスキルを手に入れた。

もしあの時、夫なり誰なりが「パソコン?そんなん必要ない」と口にしていたら、今このスキルはなかったし、今のような働き方もできなかっただろう。

学びに年齢は関係ないと言われるが、役に立たないものに注力するなんて…と言われてしまうことだってある。必要あるかは自分が決めればいい。

某放送局の〇〇講座、月に数百円の負担で週1回の放送を見ながら学ぶのだが、店頭で「できるか分からないんだけどね」と必ず口にする方がいる。が、できるかどうかよりやるかやらないか、到達点は自分で決めればいい。誰のためでもない、自分のためにやるのだから、誰のせいでも、誰かのためでもない。

だから、辞めたくなったら辞めればいい。

独学でパソコン操作を習得しようとしているとき、そんなことより…とかやっても生かせる場所がないよとかあれこれ言われたことがある。娘がまだ小さかったから寝る間も惜しんで…みたいな学びの時間だったけれど、覚えられなくてイライラすることもあったけれど、その時間はわたしだけの時間だったから、それはそれで満足だった。

初めのころはできるようになると嬉しくて、つい人に話してしまうが、「それってすごいの?」と言われた。今ほど身近な存在じゃなかったから、今となればそのリアクションには納得できるけれど、その時は(いくらやっても認められない、分かってもらえない)と内心思ったものだ。

ある程度、学びが進むと、そのリアクションにも反応しなくなった自分がいた。本当の意味で自分のための学びだと、誰のためのものでもない学びだと理解できたんだと思う。

ところで、この学び直しについて書かれたページがある。それも文部科学省のページだ。

さらに、「リカレント教育」「リスキリング」という言葉がある。

「リカレント(recurrent)」とは、「繰り返す」「循環する」という意味で、リカレント教育とは、学校教育からいったん離れて社会に出た後も、それぞれの人の必要なタイミングで再び教育を受け、仕事と教育を繰り返すことです。日本では、仕事を休まず学び直すスタイルもリカレント教育に含まれ、社会人になってから自分の仕事に関する専門的な知識やスキルを学ぶため、「社会人の学び直し」とも呼ばれます。

https://www.gov-online.go.jp/useful/article/202108/1.html

リスキリングは企業側がより収益性の高い部署や業務へ従業員を配置転換するために、DX関連のスキル・知識を学ばせることを指すことが多い(費用も原則として企業が負担)です。

https://partner.lec-jp.com/biz/column/jinjiRoumu-012.html

リカレントとは、自分で自分の仕事に関する知識やスキルを学ぶこと、リスキリングとは企業側が会社の利益になる人材を育てるために学ぶ機会を与えること、のようだ。

マナビDX – マナビDXはすべての人に学びの場を提供します (ipa.go.jp)は、登録不要でDX(デジタルトランスフォーメーション)を学ぶ講座(有償・無償)を受講することができ、日本リスキリングコンソーシアム (japan-reskilling-consortium.jp)では、世代を問わず様々な講座を受講することができるらしい。

パートの空き時間もあることだし、少し学ぶ時間に回そうかな…。