先日、年上の方にお茶に誘っていただき、たくさんお話しして楽しい時間を過ごした後、お店を出て車に戻ろうとしているときのことでした。
ゴミが落ちていたから拾って捨てた、だけなんだけど
通路にゴミが落ちていました。こういうのがあまり好きではない(きれい好きとかそういうものではない)ので、何気に拾い、近くにあったゴミ箱に捨ててその方のところに戻ると
「陰徳ですね」
と言われました。ん?陰徳って?恥ずかしながら初めて聞く言葉でした。
陰徳とは?徳を積むとは?
その方がおっしゃるには、徳を積むという言葉があるけれど、その徳には人に伝わる形で積む徳と、人に知られずに積む徳があるとかで、わたしが今、ゴミ箱にゴミを捨てた行為は、人に知られなくてもいい、見返りを求めないものだと。
へえ、そうなんですね、と言うと、実はね、と話を続けられました。
あなたは何も思っていないし、見られていることも知らないかもしれないけれど、いつもそういうことをしているのよ。
たとえばね、あなたは仕事にしても何にしても人が嫌がるような、面倒なことを率先してやっているの。たぶん、そんなに気乗りはしていないかもしれないけれど、それをやる意味を自分なりに見つけてるんだとは思うけれど。
それをやらなくちゃいけないのよね、誰かが。自分じゃなくてもいいのにね。
うんと、それは仕事だから、と言うと
そうね、仕事よね。だけどね、仕事でもやらない方法だってあるでしょ?あなたならそれができる。だって、先輩なんだから、押し付けちゃえばいいじゃない。でもね、しないのよ。
そう言っていただいて、少し戸惑う自分がいた。
自分が気になるから行動しただけなのに、徳を積んだことになる?
自分では意識したことがないし、今日のゴミ箱ポイだって自分が気になるからそうしただけ。誰かがとか考えたわけじゃなくて、自分が気になるからそうしただけなんだけどな…。
ややこしい仕事を後輩に振る才覚がないから自分でやっただけ
確かにやりたくない仕事の内容だってあるし、なんでこれをやらなくちゃいけない?と疑問しか湧いてこないこともある。だけど、それが仕事だからやるしかない、と思っているだけ。
それに後輩に仕事を振るにしても、自分自身がその仕事の意味というか意義というか、それが見えていないものをどうやって指示として伝えられる?と考え始めると、自分がやったほうがいいなと。
ややこしい仕事でも後輩に振ったほうが成長に繋がるのに振れないのは先輩としてどうなの?
本当は仕事としてちゃんと振ったほうが後輩の成長に繋がるだろうと思ってはいるけれど、分かってはいるけれど、明確なものが見えていないものを振ったとしてもその意味も意義も伝えられず、結果、「こなした」だけのものになってしまったら、成長に繋げようと振った仕事の意味がなくなってしまうような気がして。
というような内面的事情でしかないんですよね、陰徳というようなものではないと思ってしまう。
為人(ひととなり)。醸し出せる何かがあるらしい。
頭の中でよく分からない言い訳?をグダグダと考えていると、
本人が意識していないってことは間違いなく陰徳よね、すごく難しい顔してるものね
と笑われてしまいました。でもね、と続けて
それが佇まいに出てるのよ、為人(ひととなり)ね。いつまでもそれを大事にしてね。きっとあなたにとってプラスになることだから。その場を誰が見ていなくてもその佇まいに現れるから。
よくいるじゃない、偉そうな肩書持っているのに、薄っぺらい人って。ああいう人にはならないでほしい。中身のある薄くない人間になってほしい。応援してるからね!
そう言って車に乗り込んでいかれました。
陰徳という言葉をググると。
車を見送り、自分も車に乗り込んだはいいけれど、気になって陰徳という言葉を調べてみました。Google先生はやっぱり何でも知っているんですね…。
人に知られないようにひそかにする善行。隠れた、よい行い。
人に知られないようにという時点で見られていたわけだから該当しないんじゃない?なんて邪な見方をしてしまっている(笑)
こちらのサイトが一番初めに表示されたので見てみると、こんな一文がありました。
陰徳を積んでも自分自身の満足や他人からの賞賛は得られませんが、あなただけでなく、あなたの孫の代まで、「徳」の貯金が引き継がれます。
孫の代まで…。そうなの?!だとしたらすごく嬉しいな、何かを残せるほどの人物じゃないから何も残してあげられないって思うことがよくあるから、徳の貯金が引き継がれるなら、子どもたちや孫たちのためになれる。
こちらのサイトでは陰徳の具体例というのが挙げられていました。
誰かにアピールするためだったり見返りを求めて行ったのでは「陰徳」とは言えません
とありました。
見返りを求めないことかぁ、見返り求めちゃうことってありますよね。あるある。何かをしてもらったり、お返しちょうだいとまでは望まないかもしれないけど、「ありがとうくらい言いなさいよ」と思うことはあります。これも見返りといえば見返りですよね。
難しく考え過ぎか。
陰徳という言葉を教えてもらって。
自分が気になったから落ちていたゴミをゴミ箱に捨てたというだけの行動でしかないので、それが陰徳を積むというものに結びついていかないけれど、確かに事例としてあがってはいたので、そうなのかな、と。
なんだか意識しちゃいそうですね(笑)
ただ、褒めていただいていることだけは確か。そしていつも人知れず見ていただけていることも確か。それはとてもありがたいことだと思い、ありがたくこの言葉を胸にしまうことにしました。
この年齢になっても、誰かに見ていただいている、気にしていただいている。それはとても有難いことだなと思う。そしてそれをわざわざ伝えてくださる人がいらっしゃること。それもまた有難し。
わたしもこんなふうに人のことを見つめていけたらいいなと。こんなふうに年を重ねていけたらいいな。
最後に。ゴミはゴミ箱に捨てましょう!