いい人と都合のいい人は違うね

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アラフィフの真面目な話。
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これはもう自分に言い聞かせているような節があるフレーズです。そう、「いい人」と「都合のいい人」は紙一重だな、と思うことがよくあります。

わたしの周りにも「いい人だな」と思う人はたくさんいます。でも、その中には「都合のいい人って思われてはいないか」と思えてしまう人もいます。

その人たちを注意深く見ていると(人間観察が趣味、なので)、いい人にも2つのタイプがいるというのが分かってきました。

それが「いい人」と「都合のいい人」です。

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あなたはいい人?それとも都合のいい人?

いいサイトを見つけたんですよ、ということでシェアしますね。

もしかして私、都合のいい人? 「いい人」度チェック - 日本経済新聞
優しい人だと思われたい、悪者扱いされたくない。そんな思いから、つい頼まれた雑用を笑顔で引き受けてはいませんか? あなたの「いい人」度チェックからスタートです。真面目で優秀、でも損な役回り それが「いい人」前回の記事「『いい人』に未来はない ...

このいい人チェック。多ければ多いほど「都合のいい人」ということらしいです。

わたしは、13のチェックのうち11個チェックがつきました…。いい人を通り越して「都合のいい人」だそうです…。

やっぱりな、そうだと思った…というため息まじりのつぶやきはこの辺にして。

同類相哀れむ、じゃないけれど

確かに、わたしの周りにいる「もしかしたら都合のいい人になってはいないか」と感じてしまう人たちと話してみたり様子を見ていたりすると、このあたりが見えてくるんですよね。

実際、わたしもそうだったし。そういう人たちはついそういう人を見つけて愚痴ってしまう。お互い大変よね、と慰めあってしまう。

そして、わたしだけじゃないよね、と妙な安心をしてまたこき使われてしまう。そして疲れ果ててしまう。その繰り返しです。

「都合のいい人」をやめたい、そんな自分を変えたいと思ったときにかかるブレーキ

いい加減、そんな自分を変えたいと思っても何かのブレーキがかかるんですよね。

チェックにあった「人から嫌われたくない」、これが大きいような気がします。

「他人にどう思われているのかが気になる」もかな。

断ると「なんで断るの?!あの人はダメね」と思われたら嫌だし。どこかで何かを振られることが、自分が頼りにされている、必要とされているという安心感みたいなもの、かもしれない。

何かを振られること、そしてこなすこと=自分の存在意義みたいな。

でも、人の様子を見ているとその人に振られている何かはその人でなければならないものではないんです。人のことはよく見える…(苦笑)

誰でもできるんじゃない?あなたじゃなくてもいいんじゃない?とつい言ってしまいたくなる。でも、その人はわたしがやらないと誰もやらないから、と言う。

これなんですよ、これ。

誰もやる人がいない=あなたがやらなきゃいけない理由にはならない

誰もやる人がいないから、このセリフしょっちゅう使う(笑)

それを責任感が強いと言ってくれる人もいれば、雑用が好きだねと言ってくる人もいるわけです。

雑用も大事なんです!と言い返せればまだいいけど、腹の中で思ってるだけなんですもん。決して言わないんですよ、こういう人って(自分も含め)。

いくらボロボロになろうと、疲れ果てようとねぎらいの言葉すらないし、内心は「ありがとうくらい言ったら?!」くらいは思っているけど、頭のどこかで言われるわけがないのが分かってるから、「これができたから事が成せた」と自己満足で処理してしまう。

きっと誰かが見ていてくれる、誰かが分かってくれる、そんな未来を描きながら…。これもチェックにありましたね、「頑張っていれば、いつか自分にもチャンスがと信じている」。

この年齢になればそれがないということが分かってきます。というよりこの年まで分からなかったのかというツッコミを自分に入れます。

そう、分からなかったんですよ、この年まで。

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「いい人」だろうと「都合のいい人」だろうと、そんな自分に嫌気がさしたら

もう嫌になってしまったんです、そんな自分が。都合のいい人もだけど、いい人でいることにも疲れてしまった。実際、自分はいい人ではないもの。「いい人」を演じてはいるけれど、いい人ではない。

それは前から分かってはいたんだけど、いい人と思われたかったんだろうね、頼りにされたかったんだろうね。そこにしか自分の存在意義を感じられるところがなかったから。

だから、このサイトにも書いてあったように「いい人」でいることをやめると決めたんです、2017年の2月19日に(笑)

えらい具体的でしょ?もんすごい覚悟が必要だったんで頭にしっかりと残っています。

その時の上司にブチ切れたんです、その日。いい加減にしろ!って。やらかしてしまったんです。でも、その日からわたしは公私ともに「いい人」ではなくなりました(笑)

おかげで、その日から上司はよそよそしく。周囲は唖然としてた。どうしたのって何人かに声かけられるくらいだった。素に戻ったんだ、と言うと呆気にとられる人もいました。が、喜んでくれる人がなぜかいた。

それまでのわたしは上司が「勝手に」引き受けてきたものを後始末するかのように取り組んでいたし、根回しもしてた。けれど、その日を境にパッタリそういうことをしなくなった。

どう思われようと知ったことじゃない、わたしはわたしのやるべきことがある。そちらを優先すると決めたから、それまでの自分は心も頭も体も疲れてしまっていたけど、体の疲れだけになったので心はずいぶん楽になった。

それから、何か頼まれたとしても「今、これとこれ(仕事)があるけれど、どれを優先すればいいか決めてください」と言うようになった。先回りしてすべてをマルチタスクでこなすことをしなくなった。

意外と器用なのか、同時進行で物事を並行して処理できるんです(自己評価です、あくまでも)。

先回りも根回しもまったくしないというのは、わたしの性格からすると超がつくほど不安なのですが、だからといってここで手を出してしまったら、動いてしまったら、決めた覚悟はなんだったんだ!ってことになる!と歯を食いしばって我慢した。

もう根回しも先回りも癖になってましたから、それを止めるというのがこれほど苦だとは思わなかった。けれど、そうしてみると、その上司、ちゃんと動くんですよ。なーんだ、動けるんじゃん!ですよ。

不手際があったとしても、それまでに起こり得るトラブルは想像できるので、自分なりに手を打つ。だから何かがあったとしても処理できる。

納得がいかないことがあっても、昔の自分なら対応するのが部下の役目とか思ってたけど、「納得いきません」と言えるようになった。「納得できるだけの説明を!」と言えるようになった。

嫌なやつでしょ、ほんとに。

人のため、会社のため、は最大目標にならなくてもいい

でも、こんなことを繰り返しているうちに思ったんです。●●のため、という言葉に縛られていたのは自分。上司に締め付けられていたわけじゃないと気付いた。自分が自分を締め付けていたんです。

●●のためだから、自分を優先させるなんてことはいけないことだと締め付けていただけだった。「いい人」という形に自分がこだわっていただけで、周りはそれを充足させてくれていた(都合よく使っていた)だけだと気付いたんです。

「いい人」でいたいのは誰もが一緒ですよね。だけど、都合のいい人でいる必要はないのです。そう思われたくないなら「いい人」でいることをやめるしかない。

いい人をやめることを「決める」。それが最大の難関だったりするんですけどね(笑)

でも、いい人をやめてみると心が楽になります。この歳だからできるのかもしれないですね。子どもを養うためにしているところもあった仕事ですから、子どもたちが自立してくれたことでそこを担う必要がなくなったから、上司に対して強く出られたというところもあるかもしれないなと思った。これ書きながら。

ぜひ、もしかして私、都合のいい人?「いい人」度チェックしてみてください。

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