孫の祖父母発表会で感じたこと。子と孫は違うね、な話。

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子どもと孫
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昨日は、幼保園に通う孫たちの発表会があった。1人目の孫が保育園に入り、初めての運動会には行ったのだけど、その後は例のものが流行り始めたので見に行くことができなかった。

いろいろと規制が緩和され、卒園を控えた孫の最後の発表会にお呼ばれ。じぃじは仕事のため、ばぁば一人で行くことになった。

長男夫婦が住むのはここから車で高速を使わず2時間弱のところ。本音を言えば電車で向かいたいところなのだが、便が悪いので車を運転して向かった。久しぶりの往復4時間の運転。80キロ弱はあるか。

THE 北陸といった空模様。運転中、コロコロと天気が変わる。それでなくても久しぶりの長距離運転、何度か集中が切れそうになる。雪積もったらゴメン!しようと思っていたが、雪を見ることはなかった。

もうひとつ、本音を言えば「お母さん、運転してくるんならやめとく?」と言ってほしい気持ちが少しだけあった。が、長男からは「気をつけて来て」とLINE。(心配じゃないのか…)と少し不貞腐れる。

いろいろ思うところはあったが、何をもってしても卒園を控えた孫の発表会を見ないわけにはいかない、と約束の時間20分前に到着した。

いつもなら、学年が入り混じった中、出番を迎えるのだろうが、例の感染予防対策のため、各学年?1時間ずつの持ち時間。発表が終われば祖父母は入れ替えとなる。

まずは下の孫の発表から。運動会の時は孫を見つけるのに苦労したが、発表会だと距離が近いので見つけやすかった。孫はすぐにわたしに気づいた。張り切って歌い踊り、セリフを言い。3歳でこれだけのことができるようになるのか…と感心。

休憩を挟み、上の孫の発表が始まる。

実は、この発表会のことをLINEで聞いたとき、お嫁さんから「覚えられなくて泣いている」と聞いていたので、泣かずにできるか心配しながら見ることになる。

ここで思った。子どもの時は(失敗しないように)(みんなに迷惑かけないように)など、ハラハラしながら見ていたけれど、孫の時は…何をしていても「可愛い」のだ。たとえ、セリフが出てこなかったとしても「可愛い」。みんなと踊りの向きが違ったとして「可愛い」。

何をしていても「可愛い」。そう感じる自分に少し驚いた。

これが「孫」というものか。目の中に入れても痛くないよと言われたことがあったが(目に入れたら痛いでしょ、さすがに)と斜めに捉えていた自分が、何をもってしても「可愛い」しか出てこないのだ。

「前回の発表会(両親は別日に)とは違っておじいちゃんおばあちゃんの見守りのおかげでリラックスしている」と園長先生がおっしゃっていた。

まさにそれだ。孫たちもどこかリラックスしているようで伸び伸びと歌ったり演じたりしていた。

お嫁さんが「この前は詰まったりボーッとしたりしていたのに今日は上手にできた」と言っていたが、失敗したって何したって可愛いものは可愛い、それしかない。

まだ、心のどこかで「おばあちゃんと呼ばれたくない」と抵抗している部分があるにはあるが、「ばぁば!」と両手広げて走ってくる孫には無抵抗になるのだ。

こうやって母からばぁばになっていくのか。

それにしても、ばぁばというポジションは気楽というか、ある意味無責任になれるものだ。なんていうか、親の時代は自分が一番手、子の評価が母の評価みたく感じたことが何度かあったけれど、ばぁばというポジションは三番手、四番手。

お嫁さんは発表の出来をいろいろ気にしている様子で、いいところを見てもらいたいと思っている様子だったけれど、ばぁばは何もかもが可愛くて愛おしいだけ。出来なんか正直どうでもいい。

大きな声で発表したり踊ったり歌ったりしているのを見るだけで熱くなる目頭。年を重ねて涙脆さは増しているのは自覚しているが、あれだけの時間で何度涙が頬をつたったか・・・(苦笑)

幼保園を早退した孫と一緒に園から自宅まで歩く。孫と手をつないで歩くのは何年ぶりだろうか。大きくなった手を握り、いろんな話をした。

このご時世、なかなか会うことができなかったけれど、孫の成長を見て、(あ、まだまだ頑張らないと)とやる気が…。三十路の子でも可愛いと思っているし、いつも無事でいますように、食うのに困りませんようにと祈っているが、孫はまた別の可愛さを持っているものだな。

あと3か月ほどで小学校入学だ。またお金がかかるけれど、あの頑張りを見たらじぃじ、ばぁばも頑張らないとね。

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